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東京高等裁判所 平成10年(ネ)395号 判決 1998年9月24日

控訴人・附帯被控訴人(以下「一審被告」という。)

千葉県

右代表者知事

沼田武

右訴訟代理人弁護士

佐藤正八

右指定代理人

新保浩一郎

佐伯明

片岡泰隆

小宮英雄

鈴木正和

岡根茂

市原健治

松永潤

被控訴人・附帯控訴人(以下「一審原告」という。)

河野誠司

右訴訟代理人弁護士

清水洋二

宮坂浩

今村核

主文

一  原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。

二  一審原告の請求を棄却する。

三  本件附帯控訴を棄却する。

四  訴訟費用は、第一、二審を通じて一審原告の負担とする。

事実及び理由

第一  当事者の求めた裁判

一  一審被告

(控訴の趣旨)

1 原判決中一審被告敗訴部分を取り消す。

2 一審原告の請求を棄却する。

3 訴訟費用は、第一、二審を通じて一審原告の負担とする。

(附帯控訴に対する答弁)

本件附帯控訴を棄却する。

二  被控訴人

(控訴の趣旨に対する答弁)

本件控訴を棄却する。

(附帯控訴の趣旨)

1 原判決を次のとおり変更する。

2 一審被告は一審原告に対し、三〇〇万円及びこれに対する平成五年三月三一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3 訴訟費用は、第一、二審を通じて一審被告の負担とする。

第二  事案の概要は、以下のとおり一審原告の当審における主張を付加するほかは、原判決の事実及び理由の「第二 事案の概要」欄に記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決書九頁二行目の「被告武下に電話して、」の次に「退職願撤回の手続きのために」を加え、原判決書一〇頁九行目の「、三月二九日」を削る。また、一審における共同被告青木正吉及び同武下直道関係部分を除く。なお、一審における共同被告青木正吉及び同武下直道に対する請求は一審判決においていずれも棄却されたが、控訴されることなく同人らに関する部分は確定している。)。

(一審原告の当審における主張)

1  一審原告は、本件違法な公権力の行使によって教員の地位を失ない、その間児童に対する教育活動をなしえなかったのみならず、一審原告代理人に委任して、千葉県人事委員会における審査請求手続きをせざるを得なくなり、平成五年六月二一日、同代理人に着手金五〇万円を支払う旨契約し、同年一〇月一八日、右金員を支払った。

また、平成七年一月一七日付けで退職承認処分を取り消す旨の人事委員会の採(ママ)決が出されたことに伴い、同月三〇日、一審原告は、一審原告代理人に対し、右事件の報酬として三五二万五〇〇〇円を支払う旨契約し、同月三一日右金員を支払った。そのほか、一審原告は、右審査請求事件の実費として三万五〇〇〇円を一審原告代理人に支払っており、右審査請求事件を遂行するために合計四〇六万円の支出を余儀なくされた。

右着手金及び報酬金額は、弁護士会の報酬基準に従い第二東京弁護士会法律相談センターの斡旋委員立ち会いの下に決定されたもので、その額は適正なものであり、右四〇六万円は本件違法行為と相当因果関係のある損害である。

2  以上のとおり一審原告は四〇〇万円を超える経済的損害を被っており、一審原告のこうした経済的、精神的損害を合算すれば、一審原告は、少なくとも三〇〇万円を下らない損害を被っているというべきである。

第三  争点に対する判断

一  本件退職願の提出及びその後の事実経過等について

前記争いのない事実等及び証拠(<証拠略>、一審原告及び一審被告青木並びに一審被告武下(いずれも原審))及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

1  一審原告は、昭和四九年四月に千葉県の小学校教員として採用されて以来、一九年間にわたり流山市立新川小学校の教員として勤務してきたものであるが、平成五年二月二三日ころ、当時の新川小の校長の一審共同被告青木(以下「青木」という。)から流山市南部地区の学校への異動についての意向打診を受けていたが、難色を示していた。なお、当時千葉県教育委員会では、同一学校に七年、同一の市町村に一〇年勤務する者については、原則的に配置換えを行うとの方針であった。

2  平成五年三月一九日、一審原告は、流山市役所において、市教委の学校教育部長であった一審共同被告武下(以下「武下」という。)から、流山北小への異動の提案を受けたが、右異動提案には応じ難く、意に添わなければ辞表を出しても良いなどと述べたため、武下は、退職などはいつでもできる、よく考えて明日電話されたい旨述べた。

3  同月二二日午前、新川小校長室において、一審原告と青木及び武下は、右人事異動の件で面談し、武下らは流山北小への異動を説得したが、一審原告はあくまでこれを断り、意に添わなければ退職も辞さない趣旨の言動をした。武下らは、退職はいつでもできる、いったん異動すれば新たな異動もできる、再就職は難しい、親不幸(ママ)はしない方がよいなどと述べたが、一審原告に態度の変化はなかったので、同日の午後一二時過ぎころ、青木は一審原告に対して、退職願の様式のコピーを渡したところ、同日午後五時前ころ外出から戻ってきた青木に対し、一審原告は退職願(<証拠略>)を提出した。

4  同月二三日、青木は、退職願には校長の副申書を添付することになっていたため、一審原告に退職理由を問い合わせた上、副申書を作成して右退職願を市教委に提出する手続きをとった。

次いで同日の午前一〇時ころから、青木は、職員に対する異動の内示をしたが、その際、武下と相談の上、一審原告に対しても退職願は提出されたものの退職が確定したわけではなかったことから、予定通り流山北小への異動の内示をした。同日昼ころ、武下から青木に対して、一審原告の退職願についての確認要請があったので、青木は、一審原告に対し、新川小校長室において、退職願の理由とされている健康上の理由は流山北小に異動した場合のことであるのか否か、流山北小への異動はどうしてもいやなのか、退職願を提出処理してもよいのかの三点について確認したところ、一審原告からいずれもそのとおりである旨の回答を得たので、青木はこれを武下に連絡した。

5  市教委から一審原告の退職願の提出を受けた千葉県教育庁東葛飾地方出張所(以下「東葛飾出張所」という。)は、取り扱いについて協議し、再度本人(一審原告)の意思を確認した上で事務を進めることにし、とりあえず退職願と副申書を市教委に戻すことにした。同月二四日、市教委の武下は青木の在室する新川小校長室において、一審原告に対し、再度流山北小への異動を勧めるとともに、退職願を提出してよいか退職意思の確認を行ったところ、一審原告は流山北小への異動は拒否する、退職願は提出してよい旨応答したが、その際の対話の中で、人事委員会に問い合わせをする旨の発言をした。また、一審原告は、校長室での話し合いの後に、帰ろうとして駐車場所に向かって歩いていた武下を追いかけ、「身分上の保留をお願いしたい」旨の発言をしたが、武下は、右発言は休職扱いのことをいっているのかとも思い、そのようなことは病気などの理由がないとできないと説明し、またその類の話は青木校長を通じてするように指示した。しかし、一審原告は青木に対しては何らの申し出もしなかった。

右の意思確認結果の報告を受けた東葛飾出張所は、一審原告の発言した人事委員会に問い合わせをするとの意味合いについて確認するよう市教委に連絡し、武下から連絡を受けた青木が一審原告に確認をしたが、一審原告はノーコメントと答えたのみであった。

以上の報告を受けた東葛飾出張所は、最終の進達締め切りが同月二五日に迫っていることから、本人の意思確認ができたものとして、一審原告の右退職願の手続きを進めることにした。

6  一審原告の教員養成所の卒業論文担当であった樋口誠太郎(以下「樋口」という。)は、平成五年三月中旬ころ、知り合いの武下から一審原告が異動に同意するよう話してほしい旨電話を受け、一審原告に電話したが、一審原告からは前向きの回答は得られず、その旨武下に回答していたが、その後も一、二回電話で話し合い、一審原告が校長の指定する学校へ異動してもよいとの気持ちになったと理解し、挨拶代わりに電話しておこうと思い、同月二四日午後二時ころ、新川小に電話し、外出中で不在の青木に代わって電話に出た野口教頭に対し、一審原告は校長先生の指示に従うといっている旨の話をした。樋口と青木及び野口教頭は面識はなく、野口教頭は、青木に対して、樋口から一審原告についてよろしくお願いする旨の電話があったと伝えた。

その後、同月二九日に至るまで、一審原告からは、退職願の撤回について、青木や武下に対して、何らの働きかけもしていない。

7  平成五年三月二九日ないし三一日の経過については原判決書一五頁四行目から同一八頁七行目までに記載のとおりであるから、これを引用する(ただし、原判決書一五頁八行目の「退職になる」から同九行目(58頁3段31行目)の「相談するなどし、」までを「右指示を受けて、直ちに教員養成所の担任教官であった木村善保や前記樋口に電話をして相談し、木村の助言に従い(樋口は、一審原告が退職願を提出したことを知ったのは右同日であり、退職願の撤回については、一審原告に対し、今更遅いとの感想を漏らした。)」と、同一〇行目の「竹下」を「武下」にそれぞれ改める。)。

二  一審原告は、平成五年三月二四日及び同月二九日に本件退職願を撤回することを武下及び青木に伝えたものであり、右青木らはこれを千葉県教育委員会に伝達すべき義務があった旨主張するので、以下検討する。

1  青木の関係についてみると、まず平成五年三月二四日の校長室における一審原告と武下との面談に際しては、これはもっぱら東葛飾出張所が市教委に対して一審原告の意思の再確認を指示したことによる市教委職員としての武下による一審原告との面談ではあったものの、青木としても、校長室の自己の執務椅子に座っており、面前で行われていた右の面談内容にも重大な関心を有していたのであるから、その内容を聞き取っていたものと認めることはできるが、その際の確認事項に対して一審原告は、流山北小への異動は拒否する、退職願は提出してよい旨を答えているのであり、右校長室における会話の中で、一審原告が退職願を撤回する旨の意思表示をしたことを認めるに足りる的確な証拠はない(一審原告は、原審において、校長室で退職願を自ら提出するから預からしてほしいといった旨供述しているが、仮にそうであるとしても、右校長室における面談はまさしく一審原告の退職の意思の再確認であったのであるから、一審原告が退職願を撤回するというのであれば、端的にその旨を明示すれば足りるのであるのにそうしておらず、後に退職願を自ら提出するといったというのもひょうそくの合わないことであるといわなければならない。校長室における会話の中で、一審原告が一方で退職願はそのまま提出してよいと応答しながら、これと正反対の退職願を撤回する旨の意思表示をしたという一審原告の供述(原審)は採用しがたい。)。

また、一審原告は、同月二四日昼ころ樋口に電話で相談し、自分としては辞めないで流山北小に行くことにした旨伝えたところ、それまでのいきさつからそのことを校長に伝えづらいだろうから樋口の方から電話してあげるといわれた旨供述(原審)しているが、樋口は右同日には一審原告から退職願を提出したことや異動先が流山北小であることは聞いていなかったものであって(<証拠略>)、一審原告の右供述はとうてい信用し難い。樋口もまた、右電話の際、一審原告の退職願提出のことは念頭になかったのであり、前記認定の電話内容の伝言によって、青木が一審原告の退職願撤回の意思を認識し得たとは認め難いというほかない。そして、一審原告自身も、青木に対する不信感から自らは青木に退職願撤回の意思を伝えなかった旨供述しているのである。

そうすると、右三月二四日に一審原告は青木に対して本件退職願撤回の意思表示をしたものとは認め難いといわなければならない。仮に、当時の一審原告の内心の意思が退職に消極的になっており、そのことを言外に示したつもりであったとしても、一審原告が退職願を書面で提出し、同月二三日、二四日の両日にわたる意思確認に際しても退職の意思を明らかにしていたものである以上、青木において一審原告の内心の意思を忖度したり、あるいは推測や可能性に基づいて行動すべき義務があったものと解することはできず、同月二四日の退職願の撤回の意思表示が青木に対してなされ、これを青木が教育委員会に伝達しなかったことを前提とする一審原告の主張は採用することができない。

さらに、同月二九日、一審原告が青木に対し、本件退職願撤回の意思表示をしたことは争いがないが、同日は既に同月三一日付けの退職願承認の辞令が出ており、また一審原告は、自ら東葛飾出張所に退職願撤回を申し出るなど前記一の7認定の行動をしたものの、結局、右退職承認処分は撤回されることなく発令されたものであること及び(証拠略)に照らすと、仮に、右二九日の段階で青木において一審原告の退職願撤回の意思を市教委、東葛飾出張所を経由して教育委員会に上申したとしても、本件退職承認処分の発令を中止させることができたものとは認め難いといわざるを得ないから、青木が右二九日に一審原告の退職願撤回の申し出を教育委員会に伝達しなかったことと本件退職承認処分の発令との間に相当因果関係を肯定することはできない。また、青木が、同月二九日の突然ともいえる東葛飾出張所等への同行要請を既に予定されていた私的行事等の存在を理由に拒否したとしても、そのことが一審原告に対する違法な行為を構成するということもできない。

以上によれば、一審原告の青木の違法行為を理由とする一審被告に対する国家賠償請求は理由がない。

2  次に、武下の関係についてみると、青木からの退職願等の市教委への提出を受けて、武下は、平成五年三月二三日、青木に対して再度退職意思の確認等をするよう依頼し、退職意思を確認したとの回答を得たこと、市教委から右退職願の提出を受けた東葛飾出張所は、再度一審原告の退職意思の確認をするよう指示して退職届をいったん市教委に返却したため、武下は同月二四日、新川小校長室で一審原告と面談し、退職願を提出してよいか、退職意思を再度確認し、一審原告から退職意思の確認を得たことはすでにみたとおりである。

一審原告は、原審における本人尋問において、右三月二四日の武下との面談において、既に退職するつもりはなかったので、退職願を保留して下さいとお願いした旨供述する部分があり、(証拠略)にも同旨の供述部分がある。しかし、前記一認定のとおり武下は、もともと一審原告の辞表を提出するとの言動については辞めないほうがよいと述べていたものであり、かつ、青木を通じて退職意思の再確認をして東葛飾出張所に取り次いだ後に同出張所から再度意思確認をするよう指示されていたものであるから、一審原告から明示的に退職願撤回の意思表示があれば、武下においてこれを無視して退職願を取り次ぐべき理由があったとは考え難く、前記一審原告の供述等は(証拠略)(青木及び武下の供述部分)、(証拠略)、武下及び青木の各供述(いずれも原審)に照らして信用し難いといわなければならない。もっとも、武下が校長室から駐車場所に移動している途中に、一審原告が身分上の保留をお願いする旨述べたことは認められるが、その趣旨は明らかでなく、武下はその意味を休職の趣旨に理解したという(武下の原審供述)のもあながち非難することはできず、一審原告の言動から明確な退職願の撤回の意思をくみ取れなかったとしてもやむを得なかったというべきである(一審原告は、原審における本人尋問では「退職願を自分でもっていってよいか」とか「できるだけ出すのを長引かせて下さい」旨の発言をしたとも供述しているが、いずれも退職願の提出自体は否定していない趣旨にもとれるのであって、それが明確な退職願撤回の意思表示であるとは理解し難い。また、一審原告は三月二四日の武下との面談の際に、人事委員会に問い合わせる旨の発言をしているが、その意味合いの確認に際してもノーコメントとしているのであって、武下らにとってそれが退職願撤回の意味であるとはとうてい理解し難いものであったといわざるを得ない。)。以上によれば、平成五年三月二四日には、一審原告から武下に対して明確な退職願撤回の意思表示はなされなかったものというほかないのであって、既に校長を経由して市教委に退職願が提出され、退職意思確認も二度にわたり済んでいる段階で、明確な退職願撤回の意思表示がない以上、武下において一審原告の真意を忖度して行動すべき義務があるわけではないから、本件退職願をそのまま東葛飾出張所に取り次いだ武下の行為が一審原告に対する違法行為に該当するとは認め難いというべきである。

そして、一審原告が同月二九日、武下に対し本件退職願撤回の意思表示をしたことは争いがないところであるが、前記1で検討したとおり、仮にその時点で武下が退職願撤回の意思表示のあったことを東葛飾出張所に取り次いだとしても、本件退職承認処分の発令を阻止し得たものとは認め難いし、武下が一審原告の右同日の東葛飾出張所等への同行要請を多忙等を理由に拒否したとしても、そのことが一審原告に対する関係で違法行為を構成するものとも認めることはできない。

なお、武下は一審被告の公立小学校の教員として勤務し、給与等は一審被告から支給を受けるいわゆる県費負担職員であったが、平成二年四月一日から平成六年三月三一日までは流山市事務吏員であり、流山市から給与等の支給を受ける流山市の職員であったものであるから、武下は国家賠償法三条の一審被告が費用を負担する公務員であると解することはできない。なお、平成五年三月当時、武下が市教委の学校教育部長であったことは、一審原告に明白であったものである。

したがって、いずれの点からしても、武下の違法行為を理由とする一審被告に対する一審原告の国家賠償請求は理由がない。

三  以上によれば、一審原告の一審被告に対する請求はいずれも理由がなく、棄却すべきものであるところ、これと一部判断を異にする原判決は、そのうち一審原告の請求を一部認容した一審被告敗訴部分は不当であるからこれを取り消し、その部分の一審原告の請求を棄却し、一審原告のその余の請求を棄却した部分は相当であって、一審原告の附帯控訴は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおりり判決する。

(口頭弁論終結日・平成一〇年七月九日)

(裁判長裁判官 小川英明 裁判官 宗宮英俊 裁判官 髙橋譲)

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